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- 大嶺村(近世)とは
「大嶺村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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大嶺村(近世) 王府時代~明治41年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大嶺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大嶺村(近世) 江戸期~明治10年の村名大峯とも書く会津地方中部,高尾嶺の西麓に位置する大沼郡のうち古くは金山郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領滝谷組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では65石余,延宝9年の滝谷組高反別古記(片山家文書)では67石余,文化15年の村日記(県史10下)では80石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに80石余村名は山頂の平地に開かれたため大峯と称したと伝えられる延宝9年の家数17・竈12,うち肝煎1・百姓8・水呑2,人数65,馬2・牛1化政期の家数14軒(新編会津)神社は伊夜彦神社,寺院は曹洞宗円明寺,同寺の地蔵尊はイボトリ地蔵として地域の広い信仰を集めている軽井沢銀山と興亡をともにした村で,最盛期には家数40軒・人数280を数えた(御手鑑/長谷部家文書)若松県を経て明治9年福島県に所属明治8年の戸数12・人口61(県資料)明治10年田代村と合併して久保田村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」